Newsletter Volume 30, Number 2, 2015

アドメサークル

池田氏写真

日本の薬物動態研究組織(10)
製薬企業の研究所に身を置いて

横浜薬科大学薬物動態学研究室
元三共株式会社薬剤動態研究所
池田敏彦

はじめに

 私は工学系大学院の修士課程(工業生化学専攻)を修了後,三共㈱(現第一三共)に入社した.もう40年以上前の1972年のことである.配属された部署は,新設の薬物代謝研究室であった.この時はじめて,製薬企業の薬物代謝研究室は,名前通りの代謝を研究する部屋ではないことを知った.教科書に書かれているのは,薬物の生体内変化や代謝酵素の研究が薬物代謝研究であるけれども,これは狭義の代謝であり,企業の代謝研究とは広義の薬物代謝であった.それは薬の生体内運命,すなわち吸収,分布,代謝,排泄(いわゆるアドメ,ADME)の研究であり,これが医薬品の開発にこれから重要な分野になる,と教えられた.当時,薬物動態学という名称は存在しなかったのである.

 薬物代謝研究室には,さまざまなバックグラウンドを持つ人たちがいて,まるで梁山泊のようであった.ガスクロマトグラフィーなどの臨床分析化学,NMRやIRなどの機器分析化学,有機合成化学,植物生化学,薬物代謝学など,バラエティに富んでいた.これは,どの製薬会社の薬物代謝研究室でもそうだったようである.当時,始まったばかりの薬物動態業務を遂行するために,研究所のいろいろな部門から,急遽,その道の専門家が集められたのであろう.私は,少しばかり有機化学と生化学をかじった生意気な若造として,その一員に加えていただいた.

企業研究所と研究者としてのアイデンティティ

 会社の研究所に入る前,私はいろいろと悩んでいた.新しい環境に身を置くことへの不安もあるが,それよりも,自分の将来について一人くよくよしていた.大学院では,そのまま博士課程に行くつもりでいたが,どうしても,経済的な状況からそれが難しく,やむなく就職を決めた.そのため,それまで張りつめていた糸が突然,切れてしまった感じがしていたのである.研究することには変わりがないのなら,やはり学位をとりたいと思っていたものの,それが可能な環境なのか,業務から少し離れたテーマでも追求できる余地があるのか,様子が分からなかった.文句を言わずにルーチンの仕事をこなしてデータを出すことを期待されているのであれば,割り切らざるを得ないと覚悟はしていた.しかし,すっきりと気持ちの切り替えができていない状態だったのである.

 大学の研究室の先輩・後輩の中には,修士課程を修了後,迷うことなく営業職についた人達もいた.業務上,化学の知識が必要とされる部署だったからである.どんな職業を選んだとしても納得の上であるなら,他人がとやかくいう筋合いのものではない.一方,私の場合は,研究を続けることにこだわっていた.現代では,日本に限らず世界のどの国においても,人は何らかのプロフェッショナルであることが求められている.「その人でなければならない」ということの程度は多少増減するかも知れないが,いずれにしても選んだ職業で生活に必要なお金を稼ぎ,また,自分の存在意義も見出すことができる.どのような仕事であれ,その道のプロフェッショナルとして他から評価されるか,あるいは自分でそう確信できることで,初めて,生きがいを持てるものであろう.この生きがいは,登山やダイビングなど,趣味がもたらす生きがいとは別種のもので,自己のアイデンティティに深くかかわっている(趣味による生きがいを否定しているのではない).問題はどの道を進むかであり,私は,まだまだひよっ子であることは自覚していたけれど,有機化学・生化学の研究者として生きていきたいと考えていた.24歳の,学校を出たての未熟者が生意気を言うな,とお叱りを受けてもやむを得ないところではあった.しかし,研究者として生きるには,普段の努力は当然として,どうしても学位は必要だと思っていたのである.でも,企業の研究所は,上意下達に縛られる縦社会で,研究者を目指す者には墓場のようなものなのかも知れない,修士と言ったところで青二才であることには変わらず,データ取りに使いまわされるのかも知れない,きっとそうなのだろうな,と暗鬱な気持ちになっていたのである.初出勤の朝,独身寮から会社に通じる,通勤の人々でごった返している路地を,「この道を進むのだな」と自分に言い聞かせるように,ふわふわと歩いていたことを覚えている.

 今にして思えば,私は企業での研究について,少しばかり誤解していたのである.もちろん,企業であるから好き勝手な研究をすることは難しい.しかし,ただロボットのようにデータを出すだけでは,企業の研究所でも失格である.目的に応じて自分なりの創意工夫を加え,絶えず何等かの改良を加えていく努力が必要である.良く考えれば,大学での研究でも同じである.誰も教授から渡されたテーマに関しては,難しいからといって拒否権を有する人はいないであろう.難しいテーマでも,文献を調べ上げ,徹底的な実験を繰り返して研究を進めていくしかない.そうするうちに,創意工夫や努力が活きて,論文につながっていくのである.与えられた制限の中で精進し,自分の考えが実を結ぶことが研究の喜びであるなら,それは企業の中でも同じである.また,「ロボットのようにデータを出す」ことを否定的なニュアンスで書いたが,実際はむしろ,非常に重要なことである.データがなければ次へ進むこともできないし,改良の加えようもない.目的に向かって,牛のごとく働いてデータを積み上げることができないなら,単なる怠け者になる.最近,研究所を訪れると,ほとんどの人がコンピューターに向かっており,実験室はガランとしていることが多い.もちろん,ラボオートメーションの吐き出す大量のデータを前にして,整理が追いつかないなど,それなりの理由はあるだろうが,もう少し実験に費やす時間を増やしてはどうかと感じたりもする.

 閑話休題,私が案じていたのとは裏腹に,三共の薬物代謝研究室は,自由闊達な雰囲気に満ちていた.企業であるゆえ,当然,上からの指令による業務も多かったが,派生する問題を解決するための研究的な追求も許されていた.定期的なミーティングでも建設的な意見が飛び交った.それは,三共研究所の先輩方が築き上げてきた風土であったかも知れない.多くの人が,ルーチン業務をこなしつつ,浮かび上がってきた興味深いテーマを追求して学位を取得していた.私も,大いにその研究環境の恩恵を受けた一人である.

 企業研究所に属する限り,ルーチン的な業務から逃れることはできない.従って,積極的にそれに向かって精を出すのが当たり前である.しかし,創意工夫やそれなりの考えをルーチン業務に加え,結果,なんらかの新しいアイデアを得る努力をすることを継続的に行っていくべきである.これは担当業務の推進にもなるし,新テーマの掘り起こしにつながる可能性もあるからである.単なる努力ではなく,「継続的な努力」が大切である.これは古人の教えでもある.もし,そのような努力を放棄するのであれば,ルーチン業務はさっさと委託試験会社に委託した方が良い.最近では,ほとんどの会社において,データ取りだけを目的とした試験は,外部委託する方向にある.しかし,むやみにこれを繰り返すとどうなるかも考えるべきである.ルーチン業務とは言え,長年培った種々の技術やノウハウが盛り込まれている.それすら修得せずに頭の中だけでの作業をやっていたら,現場は即戦力にならない人間の集団になってしまう.数学の問題は頭の中で解決できる(未だに解決されない難問もあるが).しかし,多くの自然科学の問題は,途中に実験を入れなければ解決しない.とは言え,経験がない人に,いきなり新しい実験をやれと言っても,できるものではない.卑近な例で言えば,毒性がイヌでは出ずウサギでは出るから,まず血中濃度を比較したい,と言っても,投与と採血ができなければできない(イヌが嫌いで保定できない人もいる).ヒトを含めどんな動物でも血中濃度-時間曲線は,いくつかの点とそれを結ぶ線でしかない.でも,その一つの点のデータを取るのに動物が違えば労力も断然に違う.簡単なグラフとはいえ,汗と従来技術が裏打ちしているのである.本社に住むプランニング専門のホワイトカラー集団にはそれは無縁のものであるし,知る必要性も感じていない.彼らと研究所の人間との違いは,研究力の有無ぐらいしかない.そして,研究力という能力があるとしたら,それは泥臭くたくさんの実験をこなして,結果を鋭く考察し,徹底した文献調査をし,新しい方法論や考え方を導入し,失敗と成功を経験しながら創意工夫を加え,現場対応していくことで獲得できるものである.全て重要なファクターであるが,その中でもたくさんの実験をこなすことは最も重要である.動物の尿糞にまみれる仕事でも恥じることはない.これが企業研究者のアイデンティティであり,経験を積むことで他人に見えないものが自分には見えてくるのである.そして,企業にいてこそできる,科学的にも面白い発見もできるのである.

学会と人との関わりの薦め

 企業研究者の中で,特に若い世代には,関連する学会でも会員でない人が結構,見受けられる.まだ,給料もそれほど高くないのに会費代が勿体ない,学会に参加してもすぐに役立つ情報は多くない,偉い人が多くて敷居が高い等々,いくつかの理由はある.従って,若い人達が自己投資をあまりしない,などと余計なことを言うのは封印するが,アカデミアに属する研究者は,若い人でもほぼ間違いなく会員であることが多い.時代に取り残されたら将来はない,と懸命になっているからであろう.スポーツでたとえるなら,アカデミアでは個人技であり,企業では団体技に近いからかも知れない.しかし,どんな分野でも新しい知識や方法論が大事という時代に,薬物動態を専門とする人が薬物動態学会の年会やISSXのシンポジウムに参加しないで,どう最新の情報を得ることができるのであろうか.論文情報を追っていれば良い,という考え方もある.しかし,学会の口頭発表ではもっとも最新の情報が提供されるし,場合によっては論文には書かれていない,裏情報的な話も聞くことができる.自分の知りたいことについて,詳しい情報を持った人がその場にいるのであるから,発表の後や懇親会などで直接,話を聞くこともできる.確かに,若いうちは引っ込み思案になりがちであるし,私もその傾向が強かったことは否定しない.かつて,私は,腎臓に局在するD-アミノ酸酸化酵素について,実験を重ねていた時期があった.この酵素は,いろいろと不思議でやっかいな酵素で,その取扱いについて情報を集めていたところ,名古屋大学医学部の八木国夫教授が,この酵素の権威で,フラビン研究者として大変有名な先生であることを知った.そして,ある学会で,八木先生のご講演後,無謀にも会場の袖で長々と質問をしたのである.人見知りで引っ込み思案の私が,である.当時はまちがいなく臆病者だったが,私は必死だった.八木先生は,この礼儀知らずの若造に辟易されたであろう.しかし,その熱心な質問に丁寧に答えて下さった.そして,必要なら自分の研究室で仕事をしても良いとまでおっしゃって下さったのである.そこまで私は図々しくなかったが,その後,頂いたアドバイスのおかげで実験はスムーズに進行して,良い結果を得ることができた経験がある.その美しい(と思っている)図表は,もう古ぼけてしまった私の学位論文に載っている.このように学会に参加していると思わぬ幸運にぶつかることがある.だから,若い人には,是非,殻を脱ぎ捨てて積極的に学会に参加し,多くの人と交わってはいかがだろうかと言いたいのである.

 もう一つだけ学会のことを書くと,それは1982年のGordon Research Conferencesに参加した時の思い出である.これも,学位は取ったものの,まだまだ,若造に毛の生えた程度の時であった.たくさんの刺激的な講演がなされたが,夕食後のセッションで,テキサス大学のRonald Estabrook教授がP450 personalitiesという講演をされた.世界のP450研究者の写真とその業績をスライドで楽しげに紹介されたのである.彼は,まず,ある研究者の写真を見せ,Who is this?と聞く.聴衆はすかさず,だれだれと叫ぶのであるが,いかにこのセッションの参加者が,多くの学会に参加していて,誰が誰であるかを知っているかがうかがわれた.彼らはやはり,人と人とのフランクなつながりの中で情報を得ている.Estabrook教授は,講演の中で,京都大学の早石修先生がモノオキシゲナーゼの発見者で,有力なノーベル賞候補者であることや,大阪大学タンパク研究所の佐藤了先生と大村恒雄先生がP450の発見者であり,Fantastic scientistsだ!と褒めちぎっていたことを思い出す.遠いアメリカの地で外国人に囲まれながら(実際は,私が外国人であったが),日本人として,その時ほど誇らしい気持ちになったことはない.折しも,東北大学の藤井義明先生がこのコンファレンスで招待講演をされ,フェノバルビタールで誘導されるラット肝P450の遺伝子構造について詳細な塩基配列を示され,参加者を唸らせたばかりであった.

 Sessionの一つに特異体質性の薬物毒性があった.私は,この種の毒性がどれぐらい重要なものなのか,当時はまったく認識がなかった.ただ,イソニアジドの肝毒性において,日本人のほとんどはrapid aceylatorで,白人にはslow actylatorが多いこと,肝毒性は後者に多いことが発表され,不思議な現象だなと思った記憶だけが残っている.聴衆として,トロント大学のJack Uetrecht博士や南カリフォルニア大学のNeal Kaplowitz博士も参加されていた.ご存知の方も多いと思うが,1997年に三共は新規抗糖尿病薬,トログリタゾンを上市した.しかし,2000年には特異体質性肝毒性のために自主的に販売を中止してしまった(医学専門家の意見では,代謝性の特異体質性肝毒性と診断された).社内では,この問題を研究所としてどう対応するべきか,特別チームが編成され,私は薬物動態担当として参加した.検討を続けていく中で,反応性代謝物と免疫反応の重要性が浮かび上がり,関連した総説をたくさん発表されているUetrecht,Kaplowitzの両博士に,社内の問題としてではなく,サイエンスの問題として直接,話を聞きたくなってきた.そして,2006年に私が年会長として主催した薬物動態学会の第21回年会(東京)で,このお二人と台湾中央研究院のYuan-Tsong Chen博士をシンポジストとして招待することができたのである.Chen博士は,留学先であったNIHでの研究室の同窓で,特異体質性薬物毒性とHLA遺伝子変異に関する画期的な論文を発表されていた.外に出て,人と関わることの良さを分かって頂けると思う.