Newsletter Volume 36, Number 6, 2021

受賞者からのコメント

顔写真:江本千恵

奨励賞を受賞して
―お世話になった多くの方々への感謝をこめて―

昭和薬科大学薬物動態学研究室/
中外製薬株式会社トランスレーショナルリサーチ本部
江本千恵

1. はじめに

 この度,「医薬品開発および適正使用を指向したヒト薬物動態予測と個人差に関する研究」という題目で,令和3年度の日本薬物動態学会奨励賞の栄誉を賜り,大変光栄に存じます.ご推薦いただきました昭和薬科大学教授・山崎浩史先生および選考委員の先生方に厚く御礼を申し上げます.また,受賞対象の研究において,ご指導いただきました諸先生方,所属機関および共同研究先の皆さまにも心から感謝を申し上げます.

 私は金沢大学大学院修了後,ファイザー(株)中央研究所,大塚製薬(株)徳島研究所,Cincinnati Children’s Hospital Medical Center(University of Cincinnati College of Medicine)を経て,中外製薬(株)トランスレーショナルリサーチ本部勤務に至っております.その傍ら,昭和薬科大学・薬物動態研究室にてP450研究に取り組んで参りました.本稿では,アカデミアと製薬企業での自身の経験を通じて,その時々に直面した薬物動態研究に関わる課題や人々からの学びについて,創薬と医療という視点から,私見を述べさせていただきたいと思います.若かりし頃よりの山崎浩史先生からの教え「取り組んだことは社会に還元するため論文化すべし」により,論文化を心がけ実施してきていますので,本編で触れる研究の詳細については原著論文をご参照いただければ幸いです.

2. Drug Discovery Stage:簡便かつ迅速なADMEスクリーニングの構築

 2000年にファイザー(株)中央研究所に入社した頃は,薬物動態部門にとって変革期でした.開発候補品が途中でドロップアウトする原因の一つとして薬物動態特性の悪さが問題視され,これを解決するために薬物動態部門は創薬初期段階からプロジェクトに積極的に介入するパラダイムシフトを起こしていました.入社後は,岩崎一秀博士のもと,探索段階でのADMEスクリーニング試験の担当となりました.コンビナトリアルケミストリーが進歩していた時代でもあり,毎週届く大量の新規合成化合物と格闘する日々でした.ヒトの処理能力には限界があるため,ロボットでの膜透過,代謝安定性,薬物相互作用といった各種試験系の自動化とLC-MS/MSによるハイスループット(HT)分析法の構築が課題になり,実験精度と再現性を検証しながら,それらの効率化を目指しました.特にHT分析においては高流速,カラムスイッチングや時間差クロマトグラフィーなどの技術に触れ,分析熟練者の諸先輩方との試行錯誤により,分析技術に対する理解が深まりました.そして,効率化の実現には薬物動態の専門のみならず,サンプルのロジスティック管理,解析の自動化とデータベース登録やLaboratory Information Management System管理と各機能間を結ぶため,多くの担当者との連携が必須であることを学びました.

 試験系の効率化と同時に,得られたデータからヒト予測を考えるin vitroin vivo extrapolation(IVIVE)の取り組みが始まりました.その一つが,ヒト代謝クリアランスや関与酵素の寄与率予測でした.IVIVEでは化合物のパラメータを遊離型に基づいて考えていくため,評価系や血清タンパク質との結合試験が必要となります.当時,タンパク結合試験のHT化が遅れており,それが代謝クリアランス予測や寄与率予測にはボトルネックでした.この課題を解決するため,評価化合物の構造式から計算された物性値を用いたタンパク結合率予測法を検討・選択し,代替法として用いることに成功しました.これらの種々の検討から,非特異的な阻害剤を用いたP450酵素の寄与率,タンパク結合率のin silico手法を組み込んだ肝代謝クリアランスの予測,各分子種の寄与率予測など評価化合物の代謝特性を定量的に検討することを可能にする簡便かつ迅速な方法論を提唱することができました.

3. Non-Clinical Development Stage:ヒト化動物評価や種差解明の取り組み

 新薬開発ステージには薬効やADMEといった各種早期スクリーニング試験から選択されてきた有力な候補化合物の有効性や安全性,体内動態についてさらに詳細に評価する非臨床開発段階があります.ファイザー(株)勤務の後半はこの段階の業務に携わり,ヒト特異的な代謝物の生成など,薬物動態特性における動物とヒトの種差に直面しました.この解決法を探索するため,通常業務の傍ら,ヒト肝細胞キメラマウスの有用性評価に取り組みました.キメラマウスの活用法の一つとして,ヒトで代謝活性の高いデキサメサゾンをCYP3Aによる代謝活性のプローブとして見い出し,CYP3A酵素誘導評価の提案につなげることができました.

 大塚製薬(株)徳島研究所では,臨床で起こったイベントの原因究明のため,開発メンバーと共に,研究所の探索薬理,製剤,薬物動態と様々な部門メンバーが集まったプロジェクトに参画する機会に恵まれました.臨床で起こったイベントを非臨床試験で再現するために,各機能間で議論を重ねました.非臨床で用いられる実験動物の中で,サルはヒトと遺伝学的に近いといわれていますが,特に消化管での薬物代謝酵素や膜透過について意外に報告がなく,種差をどう考えていいのかという壁に当たりました.そこでプロジェクト業務と並行した基礎検討として,サルの肝臓および小腸におけるP450酵素や膜透過評価から,ヒトとの種差について検討しました.特に代謝に関しては,山崎先生のご助言もあり,ヒトとサルのCYP2C分子種における種差を明らかにしました.

4. Clinical Settings: 集団から個へ,大人と子供における薬物動態の違いを定量化

 大塚製薬(株)での上記のプロジェクトの経験から,臨床で起こっている薬物動態とその解釈についてさらに学びたいと強く願うようになりました.それが,米国Cincinnati Children’s Hospital Medical Centerでの研究活動の機会に繋がりました.そこでは,多くの医師や研究者の方々と臨床薬理研究に携わる機会に恵まれました.製薬企業ではなく医療機関・大学医学部,大人ではなく小児,日本ではなく海外と,一度にいろんなチャレンジが重なりました.様々な出会いやご理解・ご助力を得て,暫く米国での研究を続けることになりました.現地の教職員として採用を受け,働き始めると,出張や留学と海外で働くことは違うことに気付かされました.すべてが新しいと思うだけではなく,外国での常識を当然のこととして受け入れ,本質を理解し,差異をむしろ活用することが求められました.この環境下で,福田剛史先生からは研究の遂行のみならず,物事の考え方や研究者としての姿勢を再度ご指導いただくことになりました.福田先生から頂いた一連の叱咤激励は,National Institutes of Health (NIH) からの研究費獲得という形で実を結びました.これまでの生活で培った常識とは全く異なる考え方や環境を経験し,それを受け入れ,獲得していくことは,自分の考え方を根本から見直すほどのインパクトがありました.

 臨床医からの様々なClinical Questionに応えるため,医師主導型試験や診療の中で行われているTherapeutic Drug Monitoring (TDM) からの血中濃度,遺伝子多型データ,患児情報に基づいた解析に参加しました.2010年代,欧米規制当局は小児臨床試験実施計画の作成に伴い,ファーマコメトリクスの活用を推奨していました.そこで抗菌薬,抗がん薬,免疫抑制薬など消失過程の異なる様々な薬物を用いて,被験患者の臨床検査値や遺伝子多型情報からなる仮想患者集団を組み合わせたphysiologically-based pharmacokinetic model (PBPK) モデルを構築し,個人差の原因となる影響因子の探索および影響因子の定量的な評価を行いました.特に精力的に取り組んだのは,欧米で鎮痛を目的に汎用されているモルヒネでした.対象は体の機能が発達途中である新生児・乳幼児であり,この集団での体内動態を考えるため,バイオバンクに協力をお願いし,小児肝臓試料を用いたモルヒネの肝取り込みに関与する薬物トランスポーターOCT1の発現発達の変化も明らかにしました.

5. Clinical Development Stage: 新しいチャレンジの始まり

 新しいチャレンジとして,2020年より中外製薬(株)トランスレーショナルリサーチ本部へ入社し,開発候補品の企業主導型臨床試験に取り組んでいます.今までの自身を振り返ると,経験がない物事に対して,既成概念にとらわれ,それまでの自分の知識の範囲内で理解しようとしていたことに気付きました.これが「バカの壁」なのかと感じます.様々な人に出会い,異文化を経験し,自身の感性(アンテナ)が育つ前,実際に違いを受け入れ経験する前に,本質を理解することがほぼ不可能であることも実感として学びました.とにかく経験する!という前向きな姿勢をこれからも続けていきたいと思います.

 最後に,学生時代の研究活動から今日に至るまで長年に渡り,継続的にP450の研究へ導いてくださいました山崎浩史先生,企業での研究者の道を歩み始めた私に,物事を判断するために常にデータの交差点に立てと温かくご指導下さいました岩﨑一秀博士,非臨床研究に対して多くのご助言いただきました樫山英二博士,そして小児臨床薬理研究を通して,国際的・多角的な視野を育ててくださいました福田剛史先生に,心より感謝申し上げます.また今回の受賞研究に関して,ご協力いただきました多くの共同研究者の皆様に深謝いたします.