Newsletter Volume 36, Number 1, 2021

受賞者からのコメント

顔写真:稲森悠真

優秀口頭発表賞を受賞して

熊本大学大学院薬学教育部
稲森悠真

 この度は,第35回日本薬物動態学会年会において,優秀口頭発表賞をいただき,誠に有難うございます.年会長の山崎浩史先生をはじめ,ご審査いただきました選考委員の先生方,並びに日本薬物動態学会関係各位の皆様に厚く御礼申し上げます.私は本年会において,「油中液滴法を用いた100 細胞プロテオミクスの有効性」という演題で発表させていただきました.

 薬物は様々な分子が相互に作用することでその体内動態が制御されています.これら機構を理解するには多様な薬物動態関連分子の定量情報を網羅的に取得できるオミクス技術が有効です.これまで,DNA-seq,RNA-seqおよびATAC-seqなど,核酸分子を分析対象とするオミクス技術が幅広く薬物動態研究に貢献してきました.一方で,生命現象を担う分子はタンパク質です.細胞内のタンパク質存在量はmRNA量から推測されてきましたが,タンパク質とmRNA量は完全には一致しません.そのため,薬物動態関連タンパク質の量を網羅的に計測できるプロテオミクス技術は,薬物動態研究において重要な技術です.

 近年の薬物動態研究ではiPS細胞由来のオルガノイドやorgan-on-a-chipで培養した細胞など,希少細胞を用いた研究が進展しています.これら細胞を用いたプロテオミクスにより,多くの新しい知見を提供できることが期待されます.しかし,一般的な前処理方法である溶液消化法を用いたプロテオミクスでは,10万から1000万個の細胞が必要であるため,細胞数が少ない上記の研究で,プロテオミクスを実施することは非常に困難です.100細胞に相当する約10ngの微量なタンパク質試料を溶液消化法で処理した場合,我々の分析システムではタンパク質は検出することはできませんでした.これは,溶液消化工程において微量タンパク質がプラスチック容器などに吸着損失することが主な原因だと考えました.

 そこで我々は,サンプルと容器の接面積を減らし吸着損失を最小限に抑えるために,油中液滴法(Water droplet in Oil, WinO)を開発しました.WinOは油中に形成した数µLの微小な液滴中でプロテオミクスの前処理を行う方法であり,試料液滴と容器との接面積を劇的に減らすことができます.また前処理試薬は,油中へ添加することで試料液滴へ送達するため,試料非接触で前処理できる点も回収率改善に寄与していることも考えられます.実際に,WinOを用いることで溶液消化法に比べて得られたペプチドの量は有意に増加しました.ペプチドの回収量が向上したことで,100細胞から1000種類以上のタンパク質が同定できるようになりました.また,溶液消化法では定量できなかったCYPやABCトランスポーターなどの薬物動態関連タンパク質がわずか100細胞から定量できました.WinOは,ヒト培養細胞を用いて最適化されてきましたが,その他にもiPS細胞から分化させたモデル細胞やOrgan-on-a-chipで使用される微量な細胞についても応用が可能です.WinOは薬物動態研究に大きく貢献できる技術だと期待しています.