Newsletter Volume 32, Number 6, 2017

追悼文

-花野 学先生を偲ぶ-

粟津莊司

 日本薬物動態学会(以下,本会)の名誉会員である花野 学先生(以下,先生)が10月15日にご逝去(享年87)になりました.私は東京大学大学院で研究室を同じくする3年若い院生として初めてお会いしその後,遠慮をしない先輩として,ある期間には上司として,また私が東大を離れてからは研究領域を同じくする一種の同僚として,お付き合いをしました.長い時を経て,いつしか親友とも呼ぶべき気持ちで先生と接するようになりました.兄事したとの一語に尽きると思います.このような先生を失ったことの思いを表現する言葉がありません.ただただ先生を偲んで以下に一文を捧げるのみです.

 先生は徳島大学薬学科をご卒業後,東京大学大学院薬学専攻課程を経て同大学助手,助教授,教授(1971年)と進まれ1991年に定年により退官されました.その後,日本大学薬学部に招かれ,教授としての職務に重ねて,同大学国際産業技術ビジネス育成センター理事を御勤めになりました.

 担当講義は終始,製剤学(薬剤学),研究は主として薬の体内動態でした.研究により本会学術賞および日本薬学会学術賞を授与されております.このように先生は生涯大学人でしたが,その範囲は研究,教育に止まらず管理運営にも手腕を発揮され,両大学で薬学部長を務め,更に日本大学では上述のように理科系他学部の領域を包含する組織の理事にもなられました.まことに端倪すべからざるものがあります.その能力は本学会の運営にも発揮されました.本学会は1985年12月に設立されましたが,実際にはその2年前から設立は検討されております.先生はその検討メンバーの一人として苦労され,さらには第一期理事でもありました.また学会誌「薬物動態」の編集委員長に就任され,第一巻一号は設立の翌年(1986)に発刊されております.雑誌の内容は日本語論文でサマリーのみ英文でした.ベターな英文サマリーを得るべく先生は努力されましたが,その時に筆者が直接聞いた言葉として「同じ日本人が添削するとどうしても感情的になる.ここは非日本人が欲しいんだよ」があります.人の性向を見抜いたものとして今でも忘れません.その時の薬物動態誌は今やDMPKとして英文紙となり,インパクトファクターもいただくようになるなど,正に様変わりです.よくぞここまでの感があります.その後,先生は本学会の第二期理事会の会長を務められ,さらには徳島県郷土文化会館で会長として第5回年会を開催されました.このように先生は本学会の設立,運営に多大の功績を残されました.

 以下は研究について.先生の大学院院生時代の研究テーマは薬の経皮吸収でした.当時はまだ「動態」という言葉はなく,主として吸収と代謝のみが研究されている時代でしたが,それにしても「経皮吸収」とは先駆的でした.データの解析手段に,いち早く非線形最小二乗法(この頃にはこの言葉は使われていなかった)を取り入れたのは今にして見れば,先駆的というよりは驚異的直観力というしかありません.先生の研究は吸収という分野から次第に薬の体内動態全体に移り,種々の過程(簡単に言えば吸収,分布,代謝,排泄の諸過程,いわゆるADME)の結果である体内動態データをいかに解析するか,いかに実証するかに移って行ったと言えるでしょう.その第一段階はコンパートメントモデルによるデータ解析手段の導入です.方法の原理自体はすでに既知のものですが,これを既知の体内入力過程(例えば静注)後の血中濃度データと未知の入力過程(例えば経口投与時の吸収過程)とその後の血中濃度を組み合わせることにより,未知の入力過程を推測する方法の実証的研究は後にdeconvolution 法として知られるようになりました.これは線形コンパートメントモデルの体内動態研究手段の集大成とでもいうべきものでした.逆に言えばこれによりこの理論と方法の研究は終わったとも解せました.先生の研究はこの後は抽象的なコンパートメントモデルの知識と経験を基にして,当時ようやく研究の方向性が定まった感のある薬の体内動態の生理学的モデルの研究に向かいました.この方法により体内動態の「動物からヒト」,「in vitro から in vivo」,「正常から病態」への予測が可能となります.一方,ヒト試験の実施には厳しい基準が適用されるが,ヒト由来の臓器細胞や酵素などが利用可能となるという社会環境の要請もあり,これは正しい方向転換でした.筆者はこの転換の旗振り役を務めることができたことをいまだに誇りに思っております.先生の研究対象が動態を各ステップ毎に分けて考える,言い換えると素反応に分けて考える方法を取り入れたことも新機軸でした.短い時間で起こる現象を観測するためには短い時間でサンプリングをする技術が必要です.これをフラクションコレクターを早回しにして克服するなどは,なるほどと感心することもできますが,笑っちゃうと言えば笑っちゃう発想でした.こうして研究した素反応は体内動態の言葉に直せば細胞内への薬の透過,すなわち分布でした.分布の研究は動態学で遅れていました.分布を支配する物質,動態の研究は先生を以て嚆矢とすると言えるでしょう.

 先生の特徴を端的に表すならば「大きな絵を描ける人」でしょう.戦後の混乱期を経て薬学が創薬と適正使用に資にすることを目的とした学問へと進む過程で認識されるようになった薬の体内動態研究を具体的に方向づけた先達の一人です.このような先生を失ったことは薬物動態学ひいては薬学の大きな痛手ですが,生あるものの決まりとして受け入れざるを得ません.謹んでご冥福をお祈りします.