Newsletter Volume 32, Number 3, 2017

展望

千葉大学大学院薬学研究院 樋坂 章博

Pharmacometrics 2 DIS

千葉大学大学院薬学研究院
樋坂章博

 今年度から活動を始めた「Pharmacometrics 2 DIS」を紹介します.ここではPharmacometrics (PMx)を「モデリング&シミュレーションを医薬品開発と医療に積極的に適用する分野」と広く考えています.今回PMxのDISが2つできましたが,このうちPMx 1 DISはこれまでPKPD-QSP DISとの名称でアステラスの田端さんが中心になり活動していたもので,興味の中心は新しい薬効を定量システム薬理学(QSP)を駆使して探索・予測することにあります.すなわちPMx 1 DISはin vitroの情報からin vivoを予測するボトムアップのモデリングを重視します.これに対し,PMx 2 DISは臨床の情報を直接解析に使うトップダウンの方向性を重視します.PMx 2 DISは,新しくPMx 1 DISのリーダーになられたファイザーの大石さんと密接に連携し,薬物動態学会でPMx分野の活性化を目指します.PMx 2_DISの委員は以下の先生にお願いしました.(敬称略)

 

飯田理文  中外製薬株式会社

貝原徳紀  アステラス製薬株式会社

木島慎一  医薬品医療機器総合機構

庄子 聡  ファイザー株式会社

谷河賞彦  バイエル薬品株式会社

千葉康司  横浜薬科大学薬学部

樋坂章博  千葉大学大学院薬学研究院

山下富義  京都大学大学院薬学研究科

矢野育子  神戸大学医学部附属病院薬剤部

吉次広如  MSD株式会社

 

オブザーバー

大石昌代  ファイザー株式会社

 

 この文章で皆さんにご紹介したいのは,PMx2 DISがトップダウンの方向性に今注目する理由は何なのか,なぜ薬物動態学会でこのような活動が必要と考えたのか,そして将来は何を目指したいのかということです.ただし文責は樋坂にありますので,その点はご容赦ください.

薬物動態学のこれまでの歩み

 薬物動態学の先人が構築した薬物速度論の理論体系,そして生理学的薬物速度論の技術の基本は1980年代に発達し,1990年代までにほぼ確立しました.1980年代始めのin vitroからin vivoの正確な予測は困難との考え方は大きく変化し,創薬研究における薬物動態スクリーニングは常識になりました.そして21世紀に入ると,臨床開発の効率低下を解決する処方箋の1つとしてモデリングとシミュレーションを積極的に使う動きが盛んになりました.PMxの考え方もこの流れで生まれたものです.現在では,例えば薬物相互作用については生理学的薬物速度論のモデリングが添付文書の内容にも影響を及ぼすようになりました.このような歴史を振り返ると感慨深いものがあります.

母集団薬物動態解析の一般化

 薬物動態学の臨床での積極的利用の一環として,トップダウンの解析の代表例とも言える母集団薬物速度論(Population Pharmacokinetics: PPK)による患者の薬物動態の解析が,今は普通になりました.現在,PMDAでは新しい「母集団薬物動態・薬力学解析ガイドライン」の策定が進められており1),私も少しお手伝いしていますが,普及と技術の成熟を感じます.ただし,PPKの役割が重要となり,用量設定や添付文書の注意喚起にも影響するようになると,自由度の大きいこの解析の客観性を担保する必要が今強く生じています.

 ここで注目すべき新しい動きとしては,新薬審査データの電子媒体提出が昨年より開始され,これは申請データの信頼性を高め審査の効率性を改善するものですが,今後は提出されたデータに基づきPMDAが審査の過程で規制当局内部でも必要に応じ解析を実施し,科学的な議論がなされると期待されています2).これは先日の薬物動態学会ワークショップでもPMDAから詳しい発表があり,注目を集めました.また世界的に見ると,米国FDAは以前よりこのような解析を積極的に実施していますし3),欧州EMAはさらに先進的に,提出された臨床試験の情報を公開させる方向性を打ち出しています(Policy 0070)4).したがって,これからは製薬会社を始めとする企業では客観性の高い解析が実施できる優秀な人材を確保し,またそのための社内組織を整備する必要があります.このようなPPKに関連する技術の普及化・知識の共有は,PMx 2 DISの重要な役割の1つと考えています.

臨床試験情報の公開の動き

 上記のEMAの動きと関連して,一部の企業あるいはグループでは臨床試験の個別データを積極的に公開する試みをすでに始めています5).これは,成功した事例しか報告しないパブリケーションにはバイアスがあると国際医学雑誌編集者委員会(ICMJE)が2004年に強く訴え6),その結果始まった臨床試験の登録制度に端を発していますが,何より貴重なボランティアの善意で成立する臨床試験の情報は社会で共有すべきとの考え方が広がった結果です.その背景には,WHOによる発展途上国を含めた研究者への臨床試験情報へのアクセス提供の要望7),また過去の新薬開発,あるいは審査過程の非公開性に対する社会的批判もあります.興味のある方は米国におけるrofecoxibの事例を調べると良いでしょう.そしてさらにICMJEは,医学雑誌に投稿する際の条件として,「論文公表から6カ月以内の被験者レベルデータの公開」を要求する方針を2016年1月に公表しました8).したがって,提供された個別データを用いることで,今後は企業が実施した解析を第3者が検証できる機会が広がるとともに,他の目的の解析にも門戸を開く方向性が加速されるでしょう.

モデル基盤のメタアナリシス(MBMA)

 複数の臨床試験の結果を統合して解析するメタアナリシスは信頼性が高く,よく知られるようにEvidence Based Medicineの中で最上位に位置付けられています.これにモデル解析を利用した,モデル基盤のメタアナリシス(Model-Based Meta-Analysis: MBMA)が最近注目を集めています.多くの文献情報をMBMAで統合することで,例えば実施中の創薬プロジェクトの臨床での有用性を予測する事例が報告されています9).MBMAは母集団薬物速度論を技術的基盤としており,これまでのメタアナリシスに比べて多様な目的で柔軟な解析が可能です.また,これまでのMBMAの元データは,多くの場合に平均値などの統合された情報に限られていましたが,上記のように臨床試験の個別データの公開が一般的になり,その利用が可能になると,解析の精度・有用性が向上すると期待されます.ただし,多様な情報の統合には様々な課題もあり,おそらく今後は技術的革新が必要となることでしょう.

 このように変化が予想されるMBMAですが,これに加えて企業に所属しないアカデミアの研究者でも臨床試験の情報を入手して解析が可能になる点も一つの変化と言えるでしょう.なぜならアカデミアの視点は新薬開発に限らないので,今後MBMAは新薬開発だけではなく,薬物治療あるいは科学そのものの進歩に適用される可能性が広がったと言えるからです.PMx 2 DISでは,このように多くの新しい可能性を持つMBMAを積極的に取り上げたいと考えています.

ビッグデータと人工知能

 MBMAの多様なデータを柔軟に利用する方向性は,様々なビッグデータを先進医療に役立てる動きと重なります.現在,この分野は人工知能(Artificial Intelligence: AI)の利用が積極的に考えられています.AIはアルファ碁やGoogle翻訳の最近の精度向上で明らかなように,今後は私たちの生活の中で確実に利用が広がるでしょう.しかしAIを推進しているのは情報処理の専門家で,まだ医療,医薬品,臨床試験の専門家はこの輪の中にほとんど入っていません.最近のAI,特にディープラーニングの進歩はバックプロパゲーションと呼ばれる技術の革新が関係していますが,明確な論理が不明の場合に,最良の方法を柔軟に推測する能力には目を見張るものがあります.一方で論理的に多様な仮説を構築し,それを検証する能力はまだまだです.つまり帰納はできても演繹はまだ難しいと言うことです.

 将来的にQSP,MBMAなどの薬学分野の複雑なモデル解析はAIを利用することになるでしょう.しかし,解析の技術だけではなく,その目的,多様な方法の中での選択,結果の解釈や応用など検討すべき問題が沢山あります.一方でトップダウンモデリングは帰納的方法なので,AIは相性が良いとも考えられます.PMx 2 DISでは,このような先進的な課題にも是非取り組みたいと考えています.

これは薬物動態学なのか

 薬物動態学を体内の薬をmassとして扱う研究分野とする立場からは,「MBMA,ましてAIは薬物動態学ではないのでは」との声も聞こえてきそうです.確かに臨床統計学,情報科学や医薬品開発,薬物治療学などについて理解を深める必要があり,他の学会との連携が必要でしょう.しかし,いかにも薬物動態学らしいコンパートメントモデル解析や生理学的薬物速度論は,もともとは化学工学の反応速度論をベースにしており,またその進歩は分析化学の発展に大いに支えられました.つまり薬物動態学そのものが,分野横断的に育って来たのです.何よりもモデリングの考え方,特に生体を1つの統合されたシステムとして数理的に扱う方法,さらにそれぞれの現象の背景にある生理,薬理,あるいは治療を理解する点で,薬物動態研究者は明らかにこの分野に適性を持っています.加えて,企業の中で早期臨床試験におけるバイオマーカーの選択や評価を,薬物動態研究グループが担当する動きも最近は広がっているようです.PMx 2は,このような背景そして潜在力を考慮して,薬物に由来する生体反応の動的な変化,さらには疾患あるいは治療の中長期的進行を積極的に解析する視点を薬物動態学会の中で育てたいと考えます.

 PMxの研究は海外に比べて日本では一部の企業を除くと盛んとは言えません.これにはいろいろな理由がありますが,この分野に積極的な学会が少なかったこともその一因となっています.私たちのDISの活動がこの状況を変える1つのきっかけとなり,将来は海外との連携も積極的に進めたいと考えています.そのために,国内で臨床薬理試験とそのモデル解析をリーダーシップを持って活動されている企業の研究者の方,また薬物動態学会の中でモデリングに関わりつつも臨床試験に注目しているアカデミアの先生方を中心にご参集いただきました.今後の活動にご期待ください.

リファレンス

  1. 厚生労働省: http://search.e-gov.go.jp/servlet/Public?CLASSNAME=PCMMSTDETAIL&id=495150257&Mode=0
  2. 医薬品医療機器総合機構: https://www.pmda.go.jp/review-services/drug-reviews/about-reviews/p-drugs/0003.html
  3. GDUFA Information Technology Plan (Draft) FY 2013-FY 2017, US FDA December 2013.
  4. EMA: http://www.ema.europa.eu/docs/en_GB/document_library/Other/2014/10/WC500174796.pdf
  5. https://clinicalstudydatarequest.com/Default.aspx あるいはhttps://www.gsk-clinicalstudyregister.comを参照
  6. ICMJE: http://www.icmje.org/news-and-editorials/clin_trial_sep2004.pdf
  7. Evans T. et al. Registering clinical trials: an essential role for WHO. Lancet, 2004;363:1413-4.
  8. ICMJE: http://www.icmje.org/news-and-editorials/M15-2928-PAP.pdf
  9. Damin I et al. Longitudinal model-based meta-analysis in rheumatoid arthritis: an application toward model-based drug development. Clin Pharmacol Ther. 2012;92:352-9.