Newsletter Volume 30, Number 3, 2015

技術・研究材料紹介(企業広告)

質量分析を用いた分子イメージング

ブルカー・ダルトニクス株式会社
韮澤 崇

 分子イメージングの創薬への応用として,CT(コンピュータ断層撮影),MRI(核磁気共鳴画像法)やPET(ポジトロン断層法)などの医療モダリティを利用した研究・開発が注目されている.いずれも非破壊分析であり,生物が生きたままの状態で,外部から生体内のタンパク質等の動き(変動)を可視化する技術である.

 近年,上記とは異なる可視化法として,質量分析を用いたイメージング質量分析(イメージングMS)が開発されてきた.この分析法は破壊分析の一つであるが,物質固有の質量を用いて可視化させるため,詳細かつ選択的な局在を捉えることが期待できる.試料となる生体組織切片をX,Y軸で等間隔ピクセル状に分析する,2次元での可視化法である.様々なイオン化法および分離分析法を組み合わせた質量分析装置による可視化が試みられているが,その中でもマトリックス支援レーザー脱離イオン化法(MALDI)と飛行時間型質量分析計(TOF MS)を組み合わせたイメージングMSの報告が多くなってきている.

 このMALDI-TOF MSは汎用性の高い装置であり,検出できる物質の適応範囲や測定質量領域が広い.可視化のターゲットとなる物質は,ペプチド,タンパク質,脂質および薬物など非常に多彩である.

 現在では,イメージングMSに特化したMALDI-TOF MSや,薬物動態・代謝物をターゲットとした解析に有効な,フーリエ変換イオンサイクロトロン共鳴質量分析計(FT-ICR MS)の開発が行われている.

 本稿では,日々様々な開発が行われ,急速に進化し続けている分析方法の一つであるイメージングMSに関して,その概論から応用例について概説する.

 初めにイメージングMS分析には,図1のような,MALDIイオン源を搭載したTOF-MSもしくはFT-ICR MSが用いられる.いずれもイメージングMS専用機ではなく,日常的な質量分析計として用いられている装置である.組織切片を測定試料とすることが唯一,通常とは異なる点である.

 ペプチド,タンパク質,脂質および既知薬物にはMALDI-TOF MSが,また脂質および薬物動態などの網羅的高感度解析にはFT-ICR MSが通常用いられ,試料の種類や目的に合わせて適切な装置が選択される.

図1

図1 イメージングMS装置概略図

 イメージングMS分析のデータ取得方法としては,図2のように組織切片にX,Y軸を置き,等間隔ピクセル状に測定を行う.さらに,取得した質量スペクトル上の任意の分子量を指定し,それらの分子量別に色分けすることにより,物質の空間分布を2次元で可視化・描画させ,イメージ画像として取り出して分析できる.良好なイメージ画像を得るためには,装置だけではなく測定対象となる生体組織切片の前処理の仕方も重要な要素となる.前処理に関しては,組織切片の洗浄やMALDIのマトリックス添加等,これまでに様々な研究が行われており,現在では検出対象の物質に合わせたプロトコールを選択するだけでよい.

図2

図2 イメージングMS概略図

 イオン化補助試薬であるマトリックスの添加方法については,それがデータの質(検出感度や空間分解能)に直接影響することになるので,現在では専用のデバイスが開発されるまでに至っている.

 測定の間隔,すなわちピクセルの間隔はそのまま空間分解能(解像度)につながるので,イオン化で使用されるレーザーのビーム径も重要な条件の1つである.またレーザーの繰り返し周波数の高速化は,イメージングMS測定の時間短縮につながることになる.

 イメージングMSで取得したデータは非常に膨大であり,手動での解析には限界があるため,現在では統計学的解析を導入することによって,微細な可視化を行うのが通例である.

 このように,最適な前処理,装置性能の向上,およびデータ解析の新たな開発がさかんに行われており,イメージングMSは発展を続けている.

 イメージングMSの応用例として,MALDI-TOF MS(rapiflexTM MALDI TissuetyperTM)を使用したラット精巣の測定結果を図3に示す.この装置にイメージングMSに特化した最新のレーザーテクノロジーを搭載することによって,高速かつ高精細なイメージングが可能となっている.空間分解能10μmで異なる脂質(ホスファチジルコリン類)の分布が明確に可視化されている様子が見られる.さらに,取得したバーチャルスライドスキャナ等の高解像度画像を重ね合わせることもでき,より詳細な解析が行える.

図3

図3 ラット精巣 脂質のイメージング
空間分解能 10 µm
MALDI-TOF MS:rapiflexTM MALDI TissuetyperTM

 また,タンパク質をターゲットした測定を行い,ある特徴的な局在を示すバイオマーカータンパク質を見出した場合,組織上で酵素消化を行ってそのタンパク質を同定することができる.さらに酵素処理を併用すれば,ホルマリン固定パラフィン包埋サンプルのイメージングが可能になり,臨床分野への応用が期待される.

 次にFT-ICR MS(solariX XR)を用いた薬物および代謝物のイメージングMSを図4に示す.この質量分析計の特徴は1000万(FWHM)*を超える非常に高い質量分解能であり,その質量精度も高い.

 図4はオランザピン8mg/kgをマウスに経口投与し,2時間後の腎臓を測定した結果である.オランザピン及びその代謝物が明確にイメージングできていることがわかる.

図4 マウス腎臓 オランザピン(OLZ)のイメージング a)光学イメージ,b) OLZ(m/z 313) c) N-desmethy代謝物(m/z 299) d) 2-hydroxymethyl 代謝物 (m/z 329) FT-ICR MS:solariX XR

図4 マウス腎臓 オランザピン(OLZ)のイメージング
a)光学イメージ,b) OLZ(m/z 313)
c) N-desmethy代謝物(m/z 299)
d) 2-hydroxymethyl 代謝物 (m/z 329)
FT-ICR MS:solariX XR

 60万(FWHM)という高い質量分解能で,マトリックス由来の物質および内因性物質との分離も十分に行うことができた.さらに,Mass defectを加味した解析ができるため,薬物および代謝物の同位体ファインストラクチャーを確認することによって,構成成分であるN,OおよびSといった元素の存在を確認できる.また,そのピーク強度の情報により構成元素の数も見積もることができる.このように,高い質量分解能のイメージングを行うことにより,より正確な物質の同定が,また他のピークとの重なりがないために,正確な定量解析が期待できる.

 質量分析を用いたイメージングMSは,今後も急速に進化して行くことが予想される.空間分解能(解像度),検出感度や膨大なデータの取り扱いに関しては,まだまだ改善の余地があるが,現状でも薬物動態分野に十分応用できる性能を持っていることは確かである.

 しかし,イメージングMSそのものの知名度はまだまだ低く,浸透するにはしばらく時間がかかりそうである.

 本稿での情報提供が,イメージングMSの創薬の現場での応用を,いくらかでも促進できることを期待したい.そして我々開発者側は,利用者の期待に応えられるよう,今後もイメージングMS技術を進化させて行きたいと考えている.

【*補足】

質量分解能は一般的に半値幅(FWHM)で表される.FWHM(Full Width at Half Maximum)は1本のピークの半分の高さにおけるピーク幅のことであり,質量分析装置の分解能の評価に利用される.
rapiflexTM MALDI TissuetyperTM:≥ 40000(FWHM),
solariX XR:>10000000(FWHM)