Newsletter Volume 40, Number 1, 2025

動態研究に取り組むNEW POWER

土谷聡耀の写真

世界一の薬物動態研究者を追いかけた先で見た,創薬民主化の最前線

慶應義塾大学薬学部 薬剤学講座
土谷聡耀

はじめに

 慶應義塾大学薬学部の土谷聡耀と申します.このたびは,日本薬物動態学会ニュースレターへの寄稿の機会を下さった編集委員の皆様に心より感謝申し上げます.私は2012年に慶應義塾大学薬学部薬学科に入学し,2018年に薬剤師国家資格を取得すると同時に博士課程へ進学し,2022年3月に学位を取得しました.その後,中国・上海にある上海科技大学iHuman研究所でポスドクとして研究活動を行い,2024年8月より慶應義塾大学薬学部の薬剤学講座に着任し,現在に至っています.学部時代を含めると,今の研究室は3つ目の所属先となります.

薬物動態の世界への入り口

 多くの薬学生と同様,私の薬物動態との出会いは学内の講義や実習が最初でした.当時薬剤師を志しており,実習担当の先生から「薬剤師として薬物動態の知識は必須」という言葉から,薬物動態を専門的に学べる研究室を探すこととしました.さらに慶應薬学のプログラムである,米国の病院で行われる4週間の短期留学にも興味があり,両方を実現できる臨床薬物動態学講座(大谷壽一教授主宰)を選びました.短期留学については大学のホームページ(https://www.pha.keio.ac.jp/academics/international/voice/oversea.html)と日本薬学会機関誌「ファルマシア」(https://www.jstage.jst.go.jp/article/faruawpsj/55/12/55_1160/_article/-char/ja)に体験記が掲載されていますのでぜひご覧ください.

 卒業研究は,抗がん剤誘発性消化管障害モデルラットを用いたジゴキシンの薬物動態解析(PMID: 34193275)を行い,ノンコンパートメント解析や統計解析などの基礎を身につける良い機会となりました.また,研究室独自の“新薬セミナー”ではインタビューフォームの内容の読み解き方や,薬物間相互作用を簡便に評価/予測するCR-IR法(https://www.jsphcs.jp/wp-content/uploads/2024/10/asc1.pdf)なども学びました.振り返ると,そこで得た学びが私の薬物動態に対する考え方の土台となり,体内で薬物がどのように動いているのかを想像する面白さを教えてくれました.そんなきっかけを与えて下さった素晴らしい恩師に出会えたことは,まさに幸運だったとしか言い表せません.

 学部卒業後,薬物動態をもう少し学びたいという気持ちが半分,興味のある就職先がなかったという気持ちが半分で,博士課程に進学しました.進学して早々,大谷先生には自分で研究テーマを考えるように伝えられました.これは非常に良いトレーニングになりましたが,良いアイデアがなかなか浮かばず,実力不足を痛感しました.結局そのとき発案したテーマはネガティブな結果が出たため,断念することになります.

緊急事態宣言下,「分子薬物動態学」を手に取る

 博士課程3年目の2020年4月,新型コロナウイルスの感染拡大に伴い最初の緊急事態宣言が発令され,大学も出入りが厳しく制限されました.見通しの立たない“ステイホーム”生活が続く中,進学時に良い研究テーマを発案できなかった自分の未熟さと実力不足を克服したいと思い,杉山雄一先生(東京大学名誉教授/城西国際大学・上海科技大学栄誉教授)の『分子薬物動態学』(南山堂)を手に取りました.興味のある章から紙と鉛筆で式展開を追っていくうちに,その深い内容,モデル図と式の組み立て,演習問題,コラムなどがどれも素晴らしく,私の薬物動態に対する理解と関心を一気に引き上げてくれる“バイブル”となりました.このバイブルを読みながら,考案したドライ研究をステイホーム生活中に進め,どうにか英語論文にまとめて学位要件を満たすことができました.

世界一の薬物動態研究者と同じ景色を見たくて上海へ

 博士課程の修了が近づくにつれ,いよいよ自分の進路から目を背けることができない状況になります.研究者になろうかと思いつつも,実力に全く自信がなく,イチから鍛え直す必要があると思い始めました.ではどうすれば自分の実力を引き上げられるのか?それには世界トップレベルの研究者が何を考え,どのように研究を進めているのかを自分の目で確かめる必要がある,という答えを出します.そこで,薬物動態の世界で知らぬ者はいない杉山先生に連絡を取ったところ,「上海で新しいラボを立ち上げるからそこでなら君を雇える」と言われ,「行きます」と即答しました.学位を取得した2022年3月には新型コロナウイルスのオミクロン株が流行し,上海は3か月にわたる都市封鎖を実施したため,7月になってからようやく厳しい入国制限が続く上海へ渡ります.多くの人に「よくあの時期に上海へ行ったね」と“勇敢”扱いされますが,未知の環境へのワクワク感と,杉山先生のもとで研究に打ち込めることへの期待感で胸がいっぱいでした.こうして私は上海科技大学iHuman研究所のポスドクとなり,“世界一”と評される研究者の思考に少しでも触れようと日々奮闘することになります.

未来の創薬に薬物動態研究が貢献できることは?—telmisartan非線形体内動態解析の教訓—

 上海科技大学iHuman研究所では杉山先生とともに,アンジオテンシン受容体拮抗薬telmisartanの非線形薬物動態解析(PMID: 38745377)に力を注ぎました.具体的には,生理学的薬物速度論(PBPK)モデルに受容体結合(TMDD: Target-Mediated Drug Disposition)の概念を組み込んだ“TMDD-PBPKモデル”を用いて,血中濃度プロファイルを解析する試みです.その結果,telmisartanの非線形体内動態には肝OATP1B3による取り込みやUGT1A3による代謝,さらには受容体結合の飽和が関与していることを示しました.さらに,推定されたパラメーターを用いたシミュレーションでは,各投与量での受容体占有率を推定することにも成功しました.この成果は医薬品開発における第1相臨床試験から有効投与量を推定可能であることを示唆しており,第2相臨床試験の計画を支援する方法論となり得ます.この研究を経て,薬物動態研究が医薬品開発にもっと貢献できる方法を考え続ける必要性を強く感じました.

 この研究のTMDD-PBPKモデル解析はCluster-Gauss Newton method(CGNM, PMID: 37853850)なしには実現不可能でした.このアルゴリズムは広い初期値範囲からパラメーターを推定するため,解析者のバイアス回避性を高めています.加えて,計算過程を用いたprofile likelihood plotの描画により,各パラメーターの推定可能性を視覚的に評価でき,解析の次のステップを判断するガイドとして機能します.私にとって初めてのPBPKモデル解析となりましたが,こうした最先端の手法を実践しながら学べたことは大きな財産であり,杉山先生や共著者の皆様のサポートなしには成し得なかったと深く感謝しています.何より,杉山先生は私のあらゆる疑問に向き合い,薬物動態のディスカッションにとことん付き合ってくださいました.失礼ながら,私は成長するにつれ杉山先生をdiscussion friendとして接するようになり,おかげで幸せなポスドク期間を過ごすことができました.

“創薬民主化時代”に生きる私たち

 上海での生活を通じ,アジア圏の製薬事情が急速に発展していることを実感しました.上海ディズニーランドの近くにある上海科技大学は,多くの企業や研究所が集まる研究都市の中にあります.2013年に設立された新しい大学でありながら,大学発スタートアップが毎年6~8社ほど誕生しています.最近の成功例だと,2024年,上海科技大学の研究者が開発した改良型塩基編集技術を使用し,β-サラセミア患者の遺伝子治療に成功しました(https://kyodonewsprwire.jp/release/202401105122).また,私が所属していたiHuman研究所は4フロアほどと小規模ながら,毎年Natureなどのトップジャーナルに成果を発表しており,さらに同じ研究棟の上のフロアにある免疫化学研究所は設立後10年で少なくとも3つの医薬品シーズを導出しています.現在は臨床試験専門の大学附属病院も建設中で,創薬を一層加速させようとしています.

 バイオ産業の勃興は上海あるいは中国に限りません.杉山先生とともにバンコクで薬物動態演習セミナーを開催した際,タイのチュラーロンコーン大学には創薬研究センターがあることを知り,その上で,所属する若手研究者の高い意欲と知識レベルに感銘を受けました.世界の経済発展や技術の進歩に伴いインターネットやスマートフォンが広く普及したことと同じように,このような世界の創薬事情は薬を創るという行為も“民主化”していることを表しているのだと思います.アジア圏のバイオおよび製薬産業の実情に目を向けてこなかったことを深く反省させられました.創薬民主化時代に,アカデミアの薬物動態研究者として日本の製薬産業にどう貢献できるのか,改めて考えさせられる経験でした.

最後に

 2年間の上海でのポスドク生活を終え,現在は慶應義塾大学薬学部の薬剤学講座(登美斉俊教授主宰)に在籍しています.ここでは血液-胎盤関門などの研究が中心に行われており,私自身はこの分野に詳しくないため,学生とともに日々学んでいます.また,生化学的な実験が盛んな点も大きな刺激になっており,これまでの経験とは異なる視点から研究を見つめ直すきっかけになっています.同時に,これまで複数の研究室を渡り歩いたことで得た知見を活かしたコメントやアイデアを出せているという実感もあり,多様な環境を経験する意義を感じています.

 私の研究テーマとしては,PBPKモデリングを軸に,薬物動態予測や薬物間相互作用解析,特殊集団における薬物動態予測などを進めています.アカデミアでPBPKモデリングを専門的に扱う若手研究者は稀だと思いますが,近年の製薬産業では欠かせない技術です.動態研究の“NEW POWER”として,薬物動態およびPBPKモデル解析の専門性を高めるとともに,人材育成の場を広げることで,製薬産業の未来に貢献していきたいと考えています.