動態研究に取り組むNEW POWER
iPS細胞やゲノム編集技術を用いた新たな腸・肝細胞モデルの開発立命館大学薬学部 分子薬物動態学研究室
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はじめに
立命館大学薬学部の根来亮介と申します.この度は,日本薬物動態学会ニュースレター「動態研究に取り組むNEW POWER」へ寄稿する機会をいただき,編集委員の皆様をはじめ関係者の皆様に感謝申し上げます.私は,2009年に摂南大学薬学部に入学し,前田定秋教授(当時)が主宰されていた薬物治療学研究室に所属していました.摂南大学卒業後は,大阪大学大学院薬学研究科に進学し,水口裕之教授が主宰されている分子生物学分野で学び2019年3月に学位を取得しました.同年4月から,藤田卓也教授が主宰されている立命館大学薬学部の分子薬物動態学研究室に助教として着任し,現在にいたります.本稿では,これまでの研究成果や今後の取り組みについて紹介いたします.
学生時代
薬剤師資格を持っていれば生活に困らないだろうと考え,摂南大学薬学部に進学しました.入学当初は研究者になることは一切考えておらず,薬局か病院薬剤師を目指していました.研究職を志すようになったきっかけは明確には覚えていませんが,ゲームやDIYなどの試行錯誤する作業が好きだったこと,自分の努力を論文という形で示せることに魅力を感じたことが要因だったと思います.摂南大学時代には,パーキンソン病などの神経変性疾患の治療に関連する薬理学の研究に従事しました(PMID: 32954502).この時期に細胞培養,免疫染色,PCR,ウェスタンブロットなどの基本的な実験技術を習得したことが,私の研究者としての基盤となっています.さらに,研究者としての引き出しを増やしたいと考え,外部の大学院への進学を決意しました.
2015年当時,iPS細胞の取り扱い経験やノウハウを持つ研究者は少なく,薬学部進学時と同様に,iPS細胞の技術を習得すれば研究者として安定した生活を送れるだろうと考えました.大阪大学薬学部の水口研では,iPS細胞を用いた創薬研究モデルの開発が進行しており,薬学の知識を活かしつつiPS細胞の研究に取り組めることに惹かれ,博士課程を水口研で過ごすことを決めました.この時期から私の薬物動態研究が始まりました.テーマは,「『iPSから小腸作れ』」でした.当時の水口研では,iPS細胞から肝細胞への分化誘導法の開発や機能評価が中心でした.2011年に世界で初めてiPS細胞から小腸を分化誘導する方法が発表されたばかりで(PMID: 21151107),水口研にはそのノウハウがほとんどない状態からのスタートでした.iPS細胞からの分化誘導法は発生学の知見を参考に開発され,小腸の場合,未分化iPS細胞から内胚葉を経て腸管前駆細胞,小腸への分化が可能であることが明らかになっていました.幸運なことに,小腸は肝臓と同じく内胚葉由来臓器であるため,未分化iPS細胞から内胚葉への分化誘導法はすでにラボ内で確立されていました.私がやるべきは,内胚葉から腸管前駆細胞,小腸への分化誘導法の開発でした.内胚葉から腸管前駆細胞への分化には,WNT/β-cateninシグナルの活性化が重要であることが知られています.そこで,内胚葉から腸管前駆細胞への分化に適したWNT/β-cateninシグナルを活性化させるglycogen synthase kinase 3β(GSK3β)阻害剤のスクリーニングを行いました.GSK3β阻害剤のスクリーニングの結果,内胚葉にLY2090314を作用させることにより,腸管前駆細胞マーカーであるCDX2の遺伝子発現量およびタンパク質発現量は高い値を示しました.次に,腸管前駆細胞に,小腸の発生過程や,腸管オルガノイドの培養方法などを参考に,様々な液性因子・化合物を作用させ,腸管上皮細胞への分化を促す液性因子・化合物を探索しました.その結果,WNT3A,R-spondin 3,Noggin,EGF,SB202190,IGF-1,デキサメタゾンの組み合わせにより,腸管上皮細胞マーカーであるvillin 1の遺伝子発現量が最も増加しました.さらに,フローサイトメトリーを用いて,villin 1陽性細胞率を算出した結果,約95%であり,高効率にヒトiPS細胞から腸管上皮細胞に分化誘導できる方法を開発することに成功しました.しかしながら,腸管上皮細胞マーカーであるvillin 1は,小腸上皮細胞だけではなく大腸上皮細胞でも陽性であるため,この時点で作製したiPS細胞由来腸管上皮細胞は小腸なのか大腸なのか分かりませんでした.そこで,ヒト小腸,ヒト大腸,作製したiPS細胞由来腸管上皮細胞における網羅的な遺伝子発現パターンをDNAマイクロアレイ解析により評価しました.その結果,作製したiPS細胞由来腸管上皮細胞は大腸ではなく小腸に近い遺伝子発現パターンを示しました.この時,大腸様の遺伝子発現パターンを示した場合,医薬品の消化管吸収・代謝評価モデルとしては残念な結果かなと思っていました.一方で,iPS細胞から大腸の分化誘導法は当時開発されておらず,大腸様の腸管上皮細胞が得られた場合,それ自体が大きな成果となり得たでしょう.なお,iPS細胞から大腸を分化誘導法する方法は,2018年Cell Stem Cellに世界で初めて発表されました(PMID: 31051135).話が逸れましたが,次に薬物動態研究モデルになりうるのか機能評価を行いました.その結果,作製したiPS細胞由来腸管上皮細胞は,単層膜を形成すること,CYP3A4誘導を評価できることを確認しました.残念ながら,医薬品吸収・代謝において最重要と言っても過言ではない,CYP3A4による代謝能,P-gpによる輸送能は低い値を示しました.以上の結果より,作製したiPS細胞由来腸管上皮細胞は,未成熟であることが明らかになりました(PMID: 30472010).iPS細胞から分化誘導した細胞が未成熟である問題は,小腸だけではなく肝臓や心臓など他の臓器でも共通の課題となっています.現在も様々な研究者の努力によって改善が進められていますが,完全に成熟した細胞を作製することは依然として非常に難しい課題であると認識しています.
助教着任後
助教着任後は,ゲノム編集技術を駆使して複数の薬物代謝酵素を高発現した腸・肝細胞モデルの開発に取り組みました.本プロジェクトを開始した理由は,iPS細胞から分化誘導した細胞は継代・凍結保存ができないこと,高コスト,iPS細胞の未分化維持と分化誘導を安定してできるようになるにはかなりの経験が必要であることを何とかしたいなと学生時代から思っていたからです.そこで,セルラインに着目しました.セルラインは,継代・凍結保存が可能,低コスト,培養に高度な技術が不要であるというメリットがあります.しかしながら,セルラインのほとんどは,複数の薬物代謝酵素の発現が低いという問題があります.肝細胞モデルとしては,CYP3A4-POR-UGT1A1-CYP1A2-CYP2C19-CYP2C9-CYP2D6 (CYPs-UGT1A1) knock-in (KI)-HepG2細胞を作製しました(PMID: 35626714).腸管上皮細胞モデルとしては,CYP3A4-POR-UGT1A1-CES2 KI and CES1 knock-out (KO) Caco-2細胞を作製しました(PMID: 37037169).ヒト小腸では,加水分解酵素であるCES2は高発現している一方で,CES1はほとんど発現していませんが,Caco-2細胞では,CES1を高発現し,CES2の発現量が低いため,CES1をKOしました.当然ながら,ゲノム編集した薬物代謝酵素は機能的であることを確認しております.さらに,ゲノム編集したHepG2,Caco-2細胞両者とも,複数回継代を行っても顕著なサイレンシングがないことも確認しております.以上の結果より,低コストで繰り返し安定的に薬物動態試験に利用できる腸・肝細胞モデルを開発できたのではないかと自負しています.ただし,CYP誘導試験には不向きであるなど,いくつかのデメリットも存在します.そのため,研究目的に応じて腸・肝細胞モデルを使い分ける必要が依然としてあります.現在は,ゲノム編集したHepG2,Caco-2細胞をマイクロ流体デバイスに搭載し,初回通過効果を予測できるかどうか検証しています.
おわりに
これまでの研究を推進するにあたり,多くの先生方にご協力いただきました.また,ありがたいことに,薬学部の先生方のみならず,様々な分野の先生方とも共同研究の機会を得ることができ,非常に刺激的な日々を送っています.この場を借りて,深く感謝申し上げます.研究生活を振り返ると,進学などの節目で異なる研究室に所属したことで,薬物動態実験に必須なLCMSなどを用いた分析実験や,ゲノム編集技術などの最先端の分子生物学的実験技術を習得できたことが,自身の大きな強みであると感じています.もし,私の研究やゲノム編集細胞に興味をお持ちいただけましたら,ぜひお気軽にご連絡ください.本学会には,第31回年会(2016年)で初めて参加・発表し,その後もほぼ毎年参加していますので,皆さまとお会いし,研究に関する議論ができる日を楽しみにしております.長文になりましたが,最後までお読みいただき,ありがとうございました.